●福島県白河市年貢町生まれ
1963年10月、100年続いた「大竹タンス店」の長男として、白河市年貢町に生まれました。思い出深い大好きな年貢町ですが、残念ながら借地だったため返却を求められ、震災後に解体返却しました。現在は、年貢町から徒歩10分ほどの場所に住んでおります。
妻は、白河市新蔵町生まれです。
学歴
●白河第三小学校卒業
●白河中央中学校卒業
●福島県立白河高校理数科卒業
●日本大学法学部卒業(夜間)
職歴
●旧大蔵省関東財務局(現財務省)
●大竹タンス店
●白河市議会議員6期
子ども時代、貧しい家計をやりくりする母親を見て育ち、小学校5年生の時、家計を助けようと新聞配達を始めました。中学時代は、野球部に所属しました。ユニフォーム代などお金がかかりますが、新聞配達をして稼いだお金で支払いました。新聞配達を始めてからは、親からお小遣いを貰ったことはありません。毎月、母親にお金を渡すのが楽しみでした。
高校3年の夏まで、新聞配達を続けました。
大学進学は絶望的だった中、国家公務員として旧大蔵省で働きながら、夜間大学で学び卒業しました。大学の学費は、全額自分で払いました。せっかく入省した旧大蔵省でしたが、母親の介護をするために辞めました。
苦労続きだった母親節子が、52歳で脳梗塞で倒れ、高度障害者となりました。当時、病気だった父親は、施設ではなく在宅介護を望みました。その望みを叶え、母を在宅介護するために、潔く旧大蔵省を辞め帰省。大竹タンス店で職人の修行をしながら、母親の在宅介護をしました。母節子は、父が他界した後も生き、2012年震災の翌年に他界しました。最後の2年は、胃ろうをしました。26年間、母親の在宅介護をした経験を活かした活動をしたいと考えております。
●ボーイスカウト隊長時代
母の介護をするために、大蔵省を病めて帰省してから、介護のかたわらボーイスカウトの隊長として、子どもたちと向き合ってきました。
子どもたちの中には、登校拒否児童もいました。兄弟全員、登校拒否の家に6年間通ったこともあります。そのうち3年間は、毎朝子どもたちを起こしに通いました。親よりも真剣に子どもたちに向き合ってきました。
●殺処分ゼロを目指して、老病傷犬猫と暮らす
介護ひと筋、ペットとは無縁でしたが、結婚した時から妻が保護した犬猫と同居することになり、捨て犬だった犬猫たちと暮らすうちに、「殺処分」の現実を知り、ボランティアを手伝うようになりました。
大きな腫瘍をぶら下げた目の見えない老犬、立つことも難しいヨボヨボの老犬、一番殺処分に近い犬たちを保健所から連れ帰り、世話をして見送りました。
糞尿にまみれ、ウジがわく寸前だった老犬カレンと白内障で見えない上に聴覚が衰えたギスケ。長年飼い主だった人間に捨てられ、殺処分される寸前だった老犬たち。
脱毛していた老犬夏次郎。他にも、たくさんの犬たちを救い、譲渡できない子は、最期を看取りました。
車に轢かれたラッキーは、2度轢かれる寸前に、現場に駆けつけてくれたボランティアさんがレスキュー。下半身付随になりましたが奇跡的に助かりました。噛み犬なこともあり、大竹功一が朝晩の圧迫排尿を担当。悪性腫瘍のため旅立ちましたが最期まで世話しました。
下半身付随のリスケは、毎日朝晩、圧迫排尿をして、ウンチとオシッコを出します。これは妻の担当。
保健所から引き取った老犬たち。たくさんの命を救い、共に暮らしてきました。2010年にはNPO法人となり、現在は事務局として活動しています。猫の殺処分をなくすために、毎月東京に野良猫たちを搬送して、4年になります(コロナ禍など休む月もあります)。トータル1200匹位の犬猫の避妊去勢手術をしてきました。
「地域猫」については、白河市は福島県一番の先進地。福島県内放映ローカルテレビの取材を受けたこともあります。この時、県内で地域猫活動をしているのは、福大の福猫と白河市のコミネコ(NPO法人白河花里倶楽部の地域猫活動)だけとのことでした。
●民生委員として高齢者福祉に関わる
2022年末から、民生委員をしております。福祉といえば大竹と言っていただきます。もっと、地域のお役に立ちたいと考え、お引き受けしました。高齢者福祉は、今一番頑張りたいことです。ライフワークとして、末長く活動してまいります。
●弱者のために働きたい
貧乏な家庭に生まれ、苦学したからこそ、最弱者のために働きたいと考えております。声なき声に耳を傾け、弱者の目線で見て、弱者のために動きます。
●元ボーイスカウトローバー隊隊長
●防犯指導隊白河分隊隊長
●NPO法人白河花里倶楽部事務局
●福島殺処分zeroアクション副代表
趣味:料理、DIY
特技:野外キャンプ、テント張り
家族:妻、老病傷保護犬猫